大山祇神社参拝

神の声をお聞きするべく大山祇神社へ。
日本民族総氏神にして総鎮守という社号を誇る。
天照大神の兄神である大山積神(おおやまづみのかみ)が祭神であるが、その由緒は、神武東征に先んじて、瀬戸内海の治安を司っていた祭神の末裔である小千命(おちのみこと)がこの地を神領と定め鎮祭したことが始り。
それ以降、小千命の末裔である越智氏流大祝家が代々宮司を務めてきた。
正式参拝の際、神職から「弘枝を煩わしき禍事から守る事により、世の為人の為に尚一層尽力していけるよう。それが先祖の思いである」との祝詞を賜る。

その神の声を聞いた直後、一塵の風が本殿を吹き抜け、明るい陽光が差し込んだ。
奥宮を護る龍神が祝詞を承け歓迎くださっているだという。

本殿の前には樹齢三千年の小千命御手植えの大楠が聳える。
非常に強いご神氣を放つ大楠から力をお分けいただいた。

神社宝物殿には、古くは天智天皇、源頼朝、義経、越智大祝家の宝物が展示。
我が国に大きな歴史の危機的転換期が訪れる都度、時の為政者が当社に宝物を奉納し、安寧を祈願し奉ってきた経緯が窺われる。
国宝や重要文化財が数多く残る宝物殿は圧巻である。

大山祇神社宝物殿の中で異彩を放つのが、唯一の女性用甲冑。
これは、戦国時代、神職・越智大祝安用の息女であった鶴姫が着用したと伝わる鎧で、非常に小さくウエストがくびれているのが独特。
本来、社家である大祝家は戦時に自ら武器を持って戦う事はしないが、陣代として戦地に赴き、味方の士気を保たせる立場。
当時、大内氏を乗っ取って台頭し新興の陶晴賢が度々、神社の鎮座する大三島をも脅かすようになり、島を鎮守する大祝越智水軍と陶氏との間で度々、衝突が起こるようになる。
これらの戦いで戦死した兄の大祝安舎に代わり、鶴姫は女性でありながら戦地に赴き、味方の士気を鼓舞し続けたという。
陶氏との戦いの最中、兄に続き、恋人の越智安成までもが戦死。
鶴姫は兄と恋人の仇を取るべく自ら陣頭に立ち指揮を執り、遂には味方を勝利に導く事に成功する。

とはいえ、兄と恋人を立て続けに亡くした鶴姫の悲しみは非常に深く、味方勝利を見届けた後、瀬戸内の海に身を投げたという。
「わが恋は 三島の浦の うつせ貝 むなしくなりて 名をぞわづらふ」
彼女が遺した辞世からは、女性でありながら、尚且つ、身内を亡くしながらも悲しみをものともせず陣頭指揮を執らなければならなかった過酷さと孤独さが感じられる。