常磐神社参拝

「大日本史」を編纂した徳川光圀公(義公)と、「偕楽園」や「弘道館」の建設をされた徳川斉昭公(烈公)を御祭神とする常磐神社へ参拝し、寺内宮司様と3年ぶりの再会を果たす事ができました。

ここ、常磐神社の境内には、ゆかりの品々を展示した「義烈館」が在りますが、ここには湊川神社の大楠公墓碑「嗚呼忠臣楠氏之墓」の拓本も展示されており、水戸学と楠公崇敬との深い関わりを今に伝えています。

同じく、境内に鎮座する末社「三木神社」にも参拝。

三木神社の御祭神である三木之次とその夫人・武佐は、水戸藩家老夫妻であり、光圀公の育ての親に当たります。
実は、徳川頼房公の三男として誕生した光圀公には、その出生に際して、以下のような経緯があります。
既に嫡男が誕生していた為か、光圀公の生母・久昌院が光圀公を孕んだ折に、頼房は三木之次に堕胎を命じたのですが、之次は久昌院を自邸に匿い堕胎はさせず、自らの邸内にて光圀公を誕生させ、大切に慈育されました。
三木夫妻の貢献無くして、光圀公は存在せず、ひいては、後に光圀公が果たされた大業「大日本史」の編纂や、後世の「水戸学」も、三木夫妻無くして存在し得なかったと言っても過言ではありません。
三木邸宅跡には、今も「義公生誕の地」として「水戸黄門神社」が鎮座しています。

更に、後世に至り、三木之次の子孫である三木啓次郎氏は、松下電器創業者の松下幸之助氏が、若い頃に資金面で苦労している事を知り、多大な支援援助をされ、その貢献が実り、後の松下電器の発展へと繋がっていきました。
このご縁から、三木神社創建の際には、その御恩返しとして、当時、事業に成功した松下幸之助氏より多大な浄財が奉納されました。
更に、恩人の三木啓次郎氏が徳川光圀の育ての親の子孫であった事から、テレビドラマ「水戸黄門」のスポンサーとして松下電器が提供をする事となったのでした。
見返り等皆無の三木氏の事蹟は、嘗て日本人が持っていた「大義に生きる心」であったと感じました。