長岡楠公社にて供花

水戸に於ける楠公景仰史を学ぶ研修の為、空路、神戸から茨城へと飛び立ちました。

大楠公墓所のある神戸から、楠公崇敬の聖地たる水戸へ向かう事は、今回の研修に於いて非常に意義深いものがあります。

さて、茨城県庁への表敬訪問に先立ち、まずは桜田門外の変で亡くなった水戸浪士17名と薩摩浪士1名の髻が埋められている長岡楠公社へ。
1860(安政7)年3月3日、江戸城桜田門外にて、水戸浪士17名と薩摩藩の有村次左衛門が、大老・井伊直弼を暗殺しましたが、これに先立ち、水戸浪士実行部隊の17名が、江戸へ向かう途中、小楠公の忠誠にならい、髻を切り落として長岡宿に埋め、襲撃の成功を祈願しました。
その髻を供養した地に長岡楠公社は鎮座しています。

境内には、映画『桜田門外ノ変』の主人公で、井伊直弼襲撃を指揮した関鉄之助の名を始め、水戸浪士の名が刻まれた石碑も。
桜田門外の変に向かう前に、この長岡の地で、高橋多一郎は「菊水の 清き流れを長岡に 汲みて御國の塵を洗わん」と楠木一族の事蹟を詠みましたが、その句が揮毫された石碑も建立されています。

この高橋多一郎は、桜田門外の変の実行部隊ではありませんでしたが、桜田門外の変後、大阪四天王寺にて子の庄左衛門と共に自刃しました。
折しも、この日は関東地方は観測史上最速にて梅雨明けした日でもあり、その偶然はまさに水戸の地の歓迎であったとも言えるのでしょう。
塚前にて、楠公精神を掲げて散っていかれた水戸烈士の御霊に、楠公の血を引きその精神を継承する者として、慰霊の誠を捧げ、供花をさせていただきましたが、その前後から境内に一陣の風が吹き、静謐な神域にあって木々がざわざわと音をたて、志士達の魂のお出迎えとその篤き赤誠の波動を強く感じました。